2010年12月15日

老猫 後編

「その名前で呼ぶな、がき」
 日輪(にちりん)はそう言うと、鏡を力強く叩いて目の前の少年を消す。
 鏡に布を被せて、寝転がった。無心になり目を閉じる。そこからは自分の世界。何をしようと自分の勝手。たとえ、“日輪”を“放棄”したとしても。


 小屋の主が寝静まった頃、大岩の前で『何か』は鳴いた。
 月が天の下を照らす。そこにはいたのはいつの間にか住み着いていた猫だった。その猫に月が重なった時、猫の口から何かが出てくる。
 姿のない気配が徐々に一人の綺麗な女性へと変貌する。
 月のように綺麗な容姿。月の光と同じ銀色の髪を持つ。瞳は同じ銀色だった。銀色の腕輪をして、耳にも同じ色の飾りをしている。
 その娘が歩くたび、水の音がする。波紋は広がり、また元に戻るを繰り返す。
 娘は大岩に近づき、岩に話しかけた。
「此処に留まって、どうするつもり? 色男さん」
 くすりと笑い、近くに咲いていた花を摘み取る。それを頭に挿すと途端に……枯れてしまった。娘はさほど興味もなく、枯れた花を地面に投げ捨てる。そして大岩をさすると一人の人間が浮かび上がる。
「……起こすんじゃねえよ、女」
 娘はその人間の顔を触る……だがその手は顔をすり抜ける。
「貴方、死んでいるのになぜ留まるの? 未練かしら」
「未練はないな……いや、あの馬鹿が上手く国をまわしてるかどうかが心配だな」
「ふ~ん。まあ良いけど。貴方、小屋の女の子に手を出したら許さないからね」
 銀色の目を鋭くする娘。その姿も美しかった。娘と話す人間も徐々に姿があらわになる。
「手なんか出すか。あれは…………おれの孫だ」
 娘は目を見開いた。さっきまで靄だったものが一人の男性を形作る。
 紅の瞳に紅の髪。小屋の娘と同じ髪の色と瞳。どこか雰囲気も似ている。
「……祖父にしては随分……若いのね…………」
「おれの家はみんなそうなんだよ。五十を過ぎたら若返っちまってな」
 頭を掻く男性は、豪快に笑った。娘は気づかれないようにごくりと唾を飲んだ。
「女、名前はなんだ」
 娘はこほんとわざとらしく咳をする。
「ヤミーよ。貴方は?」
「おれは陸永(りくなが)。清領地(せいれいじ)の十三代目当主だった」
 互いに見つめ合い、握手をするとヤミーは陸永に聞く。

「貴方、未練があるって言ってたけど……
願いによっては叶えてあげてもいいわ」
 陸永はヤミーを紅の瞳で見つめた。ヤミーは長い間見つめられる。それに負けて目を逸らす。ヤミーを笑って陸永は答えた。
「あの馬鹿は死んでも構わん」
 笑って答える陸永に、ヤミーは苦笑する。
「だが、家は――清領地は後世に残さなくちゃいけない。梨花(りか)は死んでも守らなきゃいけねえんだよ。ヤミー」
 真剣な目つきに怖じ気づく。ヤミーは高鳴る鼓動を静める。陸永は沈黙を挟み、そしてまた口を開く。
「梨花は大事な跡取りだからな」
「女に国主は務まらないってか? 
いや、おれの母親は女で国を回したんだ。だから梨花にもやらせる。母親に出来たんだ、梨花にだってできる。辛くてもな」
「最低」
「へいへい、子供がいくらいてもな、清領地の当主は第一子のみ――つまり最初に生を享けた子供しか継げねえんだよ」
「可哀相ね」
 ヤミーは小さくそう答えた。だが陸永は笑った。清々しいぐらいに。
「だからおれが楯になってやるんだよ。どんな形でもいい。妖怪になろうともな」
 陸永はそれを最後に微笑んで、消えた。
 残されたヤミーは溜め息をつき、一人呟いた。
「どんな形でも……ね。まあ叶えられないこともないけど」
 はさっきまで自分が『使って』いた猫を手に持つ。大岩の割れ目にそっと入れて、ヤミーはまたくすりと笑って長い銀髪を揺らしながら、近くの池の中へと消えていった――。

 陽が昇り、また朝が来る。
  


Posted by lovecansay at 18:48